浦島太郎伝説
むーかし、むーかし、うーらしーまはー…と
童謡にも歌われている浦島太郎をご存じですか?
おとぎ話としても有名な浦島太郎の伝説が残る地が三豊市にもあります
その場所とは…三豊市詫間町にある『荘内半島』です
浦島太郎ゆかりの地はこちら
なぜ荘内半島に浦島太郎ゆかりの名が残されているか?
荘内半島にある大浜・積・生里・箱・香田・粟島・志々島を総称し『浦島』と呼ばれていたからです
これは室町幕府第3代将軍足利義満(1358~1408)が
1389年厳島神社(広島)参詣の折、瀬戸内航行の要所にある三崎神社(生里)を参拝した時
「へだてゆく 八重の汐路の浦島や 箱の三崎の名こそしるけれ」
と歌を詠んでいることから室町時代には既に「浦島」と呼ばれていたことがわかります
「箱」
浦島太郎が玉手箱を開けた所、この里に太郎親子の墓が祀られている
「紫雲出山」
浦島太郎が玉手箱を開けた時に、立ち昇った白煙が紫の雲となりこの山にかかった
山頂付近に浦島太郎を祀る竜王社がある
「上天」(昇天)
紫雲出山の中腹にあり浦島太郎がここから昇天したといわれている
(浦島太郎の話の中で、鶴(浦島太郎)となり亀(乙姫さま)のもとへ帰ったという説もある)
「積」
浦島太郎が乙姫さまから送られた宝物を積んで到着した所
「金輪のはな」
浦島太郎と握手をかわした時乙姫さまの腕輪(金の輪)が落ちた所
「室浜」
竜宮から帰った浦島太郎が2・3年釣りをし、その間若さを失わなかったので不老の浜と呼び「ぶろま」といわれていた
「糸之越」
浦島太郎が釣りをしていた場所。浦島太郎が休んだ越掛石がある
「仁老浜」
浦島太郎の母の生家があったとされる場所。仁義深き老人の浜として老翁となった浦島太郎が余生を送った
「丸山島」
鴨の越の海岸にある島。浦島太郎が亀を助けた場所であり島には竜王宮がある。(干潮時には歩いて島へ渡れる)
(竜王宮の文字が見えづらかったので反転てみました)
紫雲出山から見る瀬戸の島々は、現在と違い渡海が大変だった時代にその島々にどのような人が住んでいるのか…
そんな近くで遠い島々に対する好奇心が荘内半島に浦島伝説が残っている理由な気がします…
おまけ☆彡
浦島太郎あれこれ集(情報・雑学etc…いろいろ詰め込みました)
浦島太郎が最初に登場したのは、日本書紀の中の一節…
そこに「浦島が蓬莱(仙人の住む場所)へと行った」という事が書かれているのが最初です
その後「万葉集」や「御伽草子」等でも題材にされ、様々な媒体により現在に伝えられています
童謡「浦島太郎(うらしまたろう)」
1、昔 昔 浦島は 助けた亀に連れられて 竜宮城へ来てみれば 絵にもかけない美しさ
2、乙姫様のご馳走に 鯛やひらめの舞踊 ただ珍しくおもしろく 月日のたつのも夢の中
3、遊びにあきて気がついて お暇乞いもそこそこに 帰る途中の楽しみは 土産に貰った玉手箱
4、帰って見れば こはいかに もといた家も村もなく 道に行きかう人々は 顔も知らない者ばかり
5、心細さにふたとれば あけてくやしき玉手箱 中からぱっと白煙 たちまち太郎はおじいさん
市内に浦島太郎の像は数あれどなぜか老人姿で亀に乗っているという謎…浦島太郎恐るべし…(笑)
仁尾の方から面白い話を聞きました、要約すると
『昔仁尾に住んでいた浦島太郎が漁に出て、荘内半島の速い潮により、詫間に流され周りに知っている人が誰もいなかった』
という話です。浦島太郎の話は諸説いろいろありますが
実は自分の知っている浦島太郎が他とは違った独特なものかもしれませんね…