瀬戸内国際芸術祭のインド人アーティスト、マユール・ワイェダさんに聴く
粟島で自然と共に生きる力を伝えたい
世界第2の人口大国、インド。
日本では「IT大国」「ガンジス河」「ヨガ」といったイメージが浮かびがちですが、実際には、一言では言い表せないような多様性のるつぼです。
マユール・ワイェダさんは、インド西部にある人口2000万人以上の大都市・ムンバイから車で約3時間離れたジャングルに住む少数民族「ワルリ族」出身のアーティスト。「ワルリ族」は、日本の神道にも似た自然信仰を持っており、現在も、農業や狩猟を通して自然とともに生きる生活を営んでいます。
「ワルリ族」の伝統を引き継ぐマユールさんは、香川県三豊市が主催している「粟島芸術家村」と、共催している「瀬戸内国際芸術祭」のため、粟島に2018・2019年の2年続けて3カ月以上滞在。アート作品を制作しています。
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海に生きる人たちの島として栄えた粟島とは?
粟島は、周囲16キロほどの小さな島です。江戸時代から海上交易で栄え、1897年には日本初の海員養成学校が設けられるなど、海に生きる人々の島としての歴史を刻んできました。
また、隣にある荘内半島には、約2000年前の弥生時代の遺跡が残っていることから、粟島も、古くから人が住んでいたことが推測されます。
このような歴史を持つ粟島でマユールさんが制作しているのは、人類最古の絵画「ラスコーの壁画」を思わせるような洞窟絵「始まりの洞窟」です。なぜこのような作品を手掛けているのか。2019年6月、粟島でアートを制作中のマユールさんを訪ねてみました。
※以下のインタビューは2019年6月の内容です。マユールさんの作品の最新状況については、Facebook「アート粟島」やこちらのページをご覧ください。
ワルリ族とは?
―マユールさんのご出身である「ワルリ族」について教えてください。
マユール:「ワルリ族」は、インドの北西部に住む少数民族です。ジャングルの中で生活をしており、狩猟採集や農業で生活をしてきました。近代文明に触れるようになったのは、20世紀に入ってからです。
私が子どものとき、家には電気がありませんでした。学校へ行くときには、早朝の暗闇の中を3キロ歩いて主要道路に出ました。蛇や狐といった動物が潜むジャングルの中を歩くこの3キロは、危険と刺激に満ちていました。
危険や恐怖は、ネガティブなものだととらえられがちです。でもそれは、人間が、他の生き物との繋がりの中で生きていることを教えてくれるきっかけにもなります。
「ワルリ族」の人々の多くは、牛と一緒に暮らしていますが、別棟を建てて牛を隔離するようなことはしません。同じ家の中で寝るのです。冬に彼らと一緒にいると暖かいし、蛇といった危険な動物が近づいていると知らせてくれる。私たちは互いを守り合う家族のようなものです。
―自然豊かな「ワルリ族」の村と比べた際の、粟島の印象を教えてください。
マユール:私は島で暮らした経験はなかったので、初めはそのことに興奮しました。そして、滞在する中で、この小さな島が持つ多様性に気づきました。
日本は島国ですが、「島の中の島」とも言える粟島で話されている日本語は、東京とは異なります。まず、このような文化の違いに驚きました。
さらに印象的だったのは、粟島にイノシシがいることです。これは、原生ではなく、海を泳いで渡ってきたのが繁殖したのですが、そのため人々は狩りを行っています。自然の働きにより、新しい文化が生まれるのは、とても面白いと思います。
「ワルリ族」の村にもイノシシはいます。イノシシは通常、昼間は出てこず、夜に徘徊します。私は、ある絵の中で、イノシシの中にジャングルを描いたのですが、これは粟島のイノシシの中に見えないジャングルが広がっていることを表そうとしています。
人類のルーツに迫る洞窟画
―今回は、洞窟のような場所をつくり、その中に絵を描く試みをしています。これは、どのような狙いからなのでしょうか?
マユール:人類はかつて、洞窟で暮らしていました。人類の絵の起源は洞窟絵になります。「ワルリ族」もやはり、洞窟で生活したり洞窟絵を描いたりしていた痕跡が残っています。
2018年の滞在時に、私は2つの網が重なり合う様を表現した絵を書きました。これは、粟島と「ワルリ族」という2つの異なる文化の漁師たちが、互いの文化を引き寄せようとしていることを象徴的に示したものです。
でも、人々が洞窟で暮らしていた時代は、そもそも国境がありませんでした。現代は国境ができて、私たちは分かたれてしまっていますが、今回の作品では、より深く人類のルーツを探りたかったのです。
なお、古代は人間も、言葉なしでコミュニケーションをしていました。私自身もそれほど日本語が話せないので、粟島での滞在自体が、ある意味、古代の生活の再現のようなところがあるかもしれません。
文化を受け継ぐことの大切さ
―「ワルリ族」の絵画では、ペーストした米といった素材を絵具代わりに使って、幾何学的な文様や動植物を描いていますね。「ワルリ族」の絵の特徴を教えてください。
マユール:「ワルリ族」では、絵を「描く(paint)」とは言わず、「書く(write)」と言います。
私たちは、独自の言語はありますが、独自の文字は持っていません。文字の代わりに、絵を「書く」ことで、さまざまな教訓を後代に引き継いできました。そのため、私の「書く」絵の中にも、伝えたいストーリーや教訓があります。
私は三豊市のほか、福島県の猪苗代町などにも滞在したことがありますが、古い文化を知らない若者が多いのは、インドも日本も変わらないと思います。
実は私が本格的に絵を書き始めたのは、進学のため都市に出た後でした。都市で暮らす中で、「ワルリ族」にいかに豊かな文化があるかを再認識し、本格的に絵を書くようになったんです。
粟島には、海員養成学校が日本で初めて建てられたという歴史がある。さらに、島に住むお年寄りの方々は、第二次世界大戦や広島、長崎の原子爆弾投下などと同時代に生き、台風や津波といった自然災害を経験してきました。
彼らの記憶を継承し、新しい世代に共有していくことは、とても大切だと思います。私の作品がその一助になればと思っています。
自然の中で生きる力を学ぶ
―マユールさんは2018年、生きた鶏を解体して得た肉を使ってカレーをつくるワークショップを粟島で開催しました。今年は、「ワルリ族」がジャングルでの狩りに使うパチンコを子どもたちと一緒に作りました。なぜ、こうしたワークショップを企画したのですか?
マユール:日本やインドでも、現代は、子どもたちが自然や地域の伝統に接する機会は多くありません。特に都市部は、人々が狭い家に詰め込まれ、学校やオフィスへ往復するだけの生活になっています。
私は、危険の多いジャングルの中で育ちましたが、おかげ恐怖心なく世界と向き合うようになったと思います。
そんな経験を、他の人にも伝えたい。そのような思いから、2018年と2019年のワークショップを企画しました。
―パチンコづくりのワークショップでは、子どもたちがはしゃいでいる姿が印象的でした。こうした体験は、豊かな発想や、たくましく生きるための力につながりそうですね。本日はありがとうございました。
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インドの少数民族の知恵と、日本の粟島をつなぎ、さらに人類のルーツに迫ろうと挑戦するマユールさん。
秋会期で訪れた際は、絵の中にどんなストーリーが隠されているか、ぜひ想像してみてくださいね!
「ワルリ族」については、マユールさんのホームページ(英語のみ)に詳しい説明があります!興味のある方は、ぜひこちらも参照ください。